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聖書の深~い話しは楽しい

先日は、礼拝のあとに、礼拝にいらした方と聖書の話しになった。

なんでも、聖書研究をしているそうで、最近は聖書がもともとかかれた原語である、
ギリシャ語とヘブライ語の学びもやっているそうだ。
すごい!!

聖書というのは、最初は難解でわからないことも多い。
そもそも、書かれた目的、内容、前提がわからないと、
理解できない部分もたくさんあります。

とはいえ、とりあえず読んでみなければ始まりません。
もし聖書を手にする機会があれば、ぜひ一読してみてください。

で、その方はもう結構読み込んでいる方で、
難解に思ったところも、いろいろな注解書などを読んで自分なりにしらべておられました。

そもそも、聖書の難解といわれているところは、
学者によって、見解も違うことがよくあります。
そのなかで、いろいろな資料をあたりながら、
自分なりの見解を作り上げていくことも、
聖書の深く読んでいくことの楽しさだと思います。

さらっと読んでも、わかってくると面白い。
さらに深く掘り下げていっても面白い。

それが聖書なんだなあ、と話しながら改めて感じさせられました。

和の国「日本」。愛はあるのか!?

日本は、「和」を大切にする文化だと、常々言われています。
しかし、和を大切にする文化ということは、
異質なものを排除する文化になりうる可能性を秘めています。

昨今の日本の状況を考えると、
表面的な和にばかり焦点がいっていて、
人と人とのかかわりは、どんどん希薄になっているようにも感じます。

人間関係においても、意見が同じであることに安心し、
でも、完全に意見が一致し続けるということはありませんから、
ゆるくつながっては、気に入らなければ離れるということを
繰り返し続けているようにも思います。

人間関係の本質は、意見が合う合わないではなく、
異質なものであっても分かり合う関係ではないでしょうか。
相手のことを分かり合おうとする愛情のある関係こそ、
これからの日本に必要とされているのだと思います。

「愛」によるつながりこそ、本当の意味で「和」になっていくのではないでしょうか。
ゆえに聖書は、「隣人を愛しなさい」と教えているのです。

聖書講座その2「マタイによる福音書」

前回のマルコ福音書から、しばらく間があいてしまいました。
今日は、マタイ福音書について、少し書きたいと思います。

マタイによる福音書は、マルコ福音書よりもボリュームがあります。
そして、それは「イエスの教え」が多く含まれているからです。

マルコによる福音書で、大体イエス様がなにを行なったかをつかんだところで、
マタイ福音書では、イエス様が何を教えたかについて学んでいくのが良いでしょう。

前回も書いたのですが、教えの部分は難解なもの、
何が言いたいのかわかりづらいものも、多々含まれています。

そういったところは、立ち止まらずに、とりあえず読み飛ばすのが正解です。
わからないところは、あとで考えるなり、ググッテみるなりしてください。
私のブログに質問してくれても大丈夫です。

マタイによる福音書は、冒頭がイエス・キリストにつながる家系の羅列から始まります。
このことから、家系を大事にするユダヤ人を意識して書かれたことが想像できます。

民族や家系を大事にするユダヤ人。旧約の教えを大切にするユダヤ人。
そのユダヤ人を意識して書かれていることを考えながら、マタイ福音書を読んでみると、
マルコ福音書とは似て非なるニュアンスを感じることができるのではないでしょうか。

聖書講座その1「マルコ福音書」

前回の聖書緒論的な記事で、聖書初心者の方が最初に読むなら、
マルコ福音書からが良いとおすすめしました。

その理由は、ただひとつ!
福音書の中ではもっとも短く、かつわかりやす「イエスの活動記録」が
福音書のほとんどを占めているからです。

聖書のなかに、「福音書」と呼ばれる、いわゆるイエス・キリストの記録は
4つ保管されています。
それぞれ、「マタイ」「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」による福音書として
おさめられています。

このなかで、もっとも短編なのが「マルコによる福音書」なのです。

その理由として、他の福音書に書かれている「イエスの教え」などが
マルコには書かれていない、というのがあります。

この、「教え」の部分は、わかりやすいようでわかりにくい、というものも、
少なくありません。

「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい」
というような、有名な教えもあるのですが、
なかには、難解な教えも多々あり、
しかも、教えの部分は、ひとかたまりになっている部分もあり、
初心者の方は、しばらく教えの部分が続くと、
ちょっと眠くなってしまうかもしれません。

その点、マルコ福音書は、イエスの活動記録がほとんどなので、
伝記を読む感覚で読みきれるのではないでしょうか。

聖書をどこから読んだらいいのか?人それぞれです。

聖書は難しいという意見を、よく聞きます。
その通りだと思います!爆

そりゃー、今から2000年近く前に書かれたものですから。
旧約聖書にいたっては、紀元前に書かれたものですから。

しかも、言葉も硬いし、言い回しも難しかったりする。

現代作家の、読みやすい文章から比べれば、
明治の文豪の文章だって読みにくいと感じるんだから、
聖書はそれ以上に難しいと思うのは、ある意味あたりまえですね。

とはいえ、それが結論では話にならないので、少しアドバイス。

多くの人は、「聖書を読もう!」と決めたとき、
大体旧新約が両方はいった分厚い「聖書」を手に取ると思います。

で、普通に最初のページから読むと思います。

これが、聖書を決定的に難しいと思わせている原因だと、わたしは思っています。

聖書は、たくさんの書物の集合体。いわば文集みたいなもんです。
で、ざっくり旧約と新約というふたつにわけられていて、
それぞれも、いろんな書物でなりたっています。
ですから、本の真ん中へんから読んだりしても、ぜんぜん大丈夫!


おすすめは、「マルコによる福音書」

聖書全体の後ろ3/4くらいのところにある書物です。

なんでお勧めなのかは、次回。。。
プロフィール

菊池 亘

Author:菊池 亘
宇都宮グローリーチャーチ
   牧師

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